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八ッ場ダム

なにこれ

ダムAdvent calendar9日目です。八ッ場ダムの話をします。

建設中の八ッ場ダム。実は完成後にまだ訪問していないダムである

概要

首都圏にあるダム郡の中で最後にできたダム。利根川水系の支流吾妻川のダムである。70%が洪水調節容量、残りのほぼ全量が水道用水で、1都4県で利用される。特に埼玉県の45%、東京都の25%が大きい。

他の首都圏のダムとほぼ同時期に計画されたにもかかわらず、他にくらべて大きく遅れた理由は以下のようなものがある。

  1. 吾妻川支流の温泉地等から流れ込む酸性の河水のため中和が必要だった
  2. 反対運動が「東の八ッ場、西の大滝」と呼ばれるほど長引いた
  3. 政治的な混乱による一時的な工事中止

反対運動

八ッ場ダムは前述したように反対運動が非常に長引いた。そのとき何が起こったのかは詳しい資料が沢山あるので端折り、私見で反対運動が他よりも激しかった理由を推測すると、

  1. 国家主体のダム建設は補償が安めで補償額の妥結まで長引きやすい。発電主体のダムが私企業中心であり、補償交渉が長引くとその分コスト的に不利になるという判断があり、比較的多額で、早期に妥結する例が多いのに対し、他のダムや公共事業の土地収用の額が上がる影響を恐れる国家や公共団体主体のダム建設は、安く抑えようとして、結果的にこじれて余計なコストを払うことが多い
  2. 川原湯温泉、吾妻渓谷という良好な観光資源を抱えており代替が難しいこと
景勝地吾妻渓谷。ダム建設地は行政側の譲歩で上流に移されたため、かなりの部分が景勝地として残ることになった

の2点に集約されると予想される。最終的には行政側の譲歩と、ダム建設計画が宙に浮いた状態が長期間続くことによる不利益(※)もあり最終的には妥結した。

※ダム水没予定地に新しい建物・インフラは、すぐに無駄になる可能性があって建てづらく、それが高度経済成長期に何十年も続けば外と比べてその地域だけ発展から取り残されることになる

ところが、地元で補償交渉が妥結した2001年前後の世論としては、首都圏の水需要の低下と、公共事業削減のブームがあり、ダムが槍玉に上げられることが多くなっていた。これもあり、2009年の民主党政権の移行と同時に見直しが行われ、一時的に建設が中断した。

もちろん、苦渋の決断の結果、交渉が妥結し、代替地への移行を推進していた地元関係者がそれを歓迎する筈もない。結果として建設は再開されたわけだが、建設が中止されたとしたらそれに対する補償問題がまた勃発して、建設よりも更に高いコストを払う羽目になるのは想像に難くない。

周辺工事

線路付け替えによって移転した川原湯温泉駅。移転した川原湯温泉郷とは少し距離があって若干不便がある

八ッ場ダムの建設地である吾妻峡は、川原湯温泉があるだけでなく、草津温泉、万座温泉などへいたる国道や鉄道が通るルート上にあり、大規模な付け替え工事が必要であった。また、水没集落をダム湖の直上に移設するための大規模な造成事業が行われた。

水没地から移転した川原湯神社
湖岸の集落を繋げる八ッ場大橋。こちらも金額面での影響が多そうだ…

工学的知見

建設中の八ッ場ダムの前面。見づらいが、典型的な重力式コンクリートダムにみえる

堤高116mのよくある典型的な重力式コンクリートダムである。敢えて特徴があるとすると、洪水調整容量の非常に大きなダムであるので常用洪水吐がかなり下部に存在する点が挙げられる。